沿革
本校は大阪府下の神職団体である財団法人大阪国学院を設立者とする旧制浪速中学校として大正12年3月31日にその設置が認可され、沢の口の仮校舎において生徒204名を以て第1回入学式を挙行しています。同年7月国学院(大江神社神官養成所)旧校舎を現在地に移築、4教室に事務室を構えて以来、今日まで延々たる歴史を重ねて参りました。時の状況は神職子弟はもとより広く進学を志しながら進学し得ないものをも広く救済すべく設立したとありますが生徒募集には大変苦労したことは40年史の記すところです。
昭和初期の世界恐慌に際しては本校運営の危機に瀕し昭和6年5月の神職大会で浪速中学校後援会が創設され各神社は基本金の一部を拠出し本校を維持したと記録にはあります。
また昭和9年9月の室戸台風では校舎の大半が倒壊するなどの学校存立の基盤が揺らぎ、廃校の噂さえ流れる事態に立ち入りました。しかしながら設立当初のこのような幾多の危機を歴代の理事者、教職員、そして保護者・同窓会員の各位が一体となって問題解決にご尽力頂き、困難は見事に克服され、さらに昭和14年本校の象徴たる神殿が竣工いたしました。昭和3年にはすでに校内の参拝所で「伊勢大廟遥拝」という言葉で神宮に向かった拝礼が開始されており、関係者の待ち望んだ本格的神殿の完成に歓喜・感涙の中で竣工式がなされたとあります。
昭和23年学制改革で新制中学、新制高校として新たな出発を果たしましたが、本校の精神的主柱たる神殿も終戦にともなう神道指令によって撤去となり、敬神崇祖、神社神道を建学の精神とする本校にとって痛恨の極みでありました。しかしながら昭和28年関係者の血のにじむような努力が実を結び、遂に現在の位置に再建され、翌29年からは、本校行事の主軸たる伊勢修養学舎が始まり、その歴史もすでに50年を越えました。
34年には講堂・体育館が、36年には北館・東館が竣工し、ほぼ現在のような学校の形が完成、「浄く、明るく、正しく、直く」の「浄明正直」を校訓として現在までの卒業生は3万名を越え、大阪を代表する私学の1つとして発展を続け、今日に至っております。
このような歴史を見続け、ご神徳を頂いてきた学院神社は本校の精神的主柱であります。全国の中学校・高等学校で校内に神社を擁し。伊勢神宮での修養学習や神道科の課程を持つ学校は本校以外に存在しないことは我々には大きな誇りとするところです。
神社の構成につきましては正門入ってすぐ左手の鎮守の杜に、2つのお社が鎮座まします。正面が「学院神社」、その右側にあるのを「祖霊社」と申します。学院神社の御祭神は天照大御神・豊受大御神と大阪府下の全ての神社に祀られている神々であります。祖霊社は本校関係者の御霊をお祀りするために、昭和38年に創建されたもので、学院神社とともに本校の守護神であります。祭礼は春季例祭・秋季例祭・月次祭・奉告祭があり、祖霊社としては特別に毎年4月に合祀祭が執り行われ、前年度に物故された方々の御霊を納めお祀り致します。

